サービスの終わり方には、設計がある
終了の告知を並べると、はっきり型に分かれる。消す/持ち出させる/制度ごと畳む/URLを生かしたまま渡す。 そして残すことが利用者への配慮になるか、消すことが配慮になるかは、 その場所に何が書かれていたかによって逆転する。
終了の告知は、同じ文面ではない
日本のインターネットで大きな場所が閉じるとき、 告知の文面はどれも似た調子で書かれる。長らくのご愛顧に感謝し、日付を示し、頭を下げる。 ところがその先に書いてある処置は、まったく違う。 投稿されたものを全部消すと明言するところがある。 競合他社への移行ツールを用意するところがある。 利用者が何もしなくても運営が移して、古いURLに転送まで設定するところがある。 制度そのものが終わるので、移る先が原理的に存在しないところもある。 この差は、事業者の親切さの度合いではない。 その場所に何が書かれていたかと、何が終わるのかの二つで決まっている。 終了の告知を並べて読むと、そこが見えてくる。
型1 ── 消す
[前略プロフィール](/service/zenryaku-profile)は2016年9月30日に終わるとき、 利用者が書き込んだデータを運営が削除すると告知した。 [teacup.](/service/teacup)は2022年8月1日に終わるとき、 投稿されたテキストと画像について 「サービス終了後、責任を持って全て消去し、二次利用を行うことはございません」と述べている。 二次利用を行わないという一文がわざわざ添えられているのが特徴的で、 消すことが約束として提示されている。 共通しているのは、そこに置かれていたものの性質である。 どちらも宛先が目の前にいる文章だった。 同級生に見せるための項目、常連に返すための一行。 数年後に見知らぬ第三者が検索して読み当てることは、想定の外にある。 本名に近い情報も、通っている学校の話も、その前提のもとで書かれていた。 この型では、消すことが利用者を守る手当てとして働く。 その代わり、記録は残らない。
型2 ── 持ち出させる
[Yahoo!ブログ](/service/yahoo-blog)は2019年12月15日の終了に向けて、 10か月かけて段階的に機能を止めた。 4月にベータ版を終了、5月に新規受付を止めると同時に他社ブログツールへの移行ツールを提供開始、 8月に投稿と編集を停止し、12月に本体と移行ツールを同時に終了する。 移行できたのは記事のテキストだけでなく、画像とコメントも含まれていた。 指定された移行先は他社、つまり競合である。 [魔法のiらんど](/service/maho-i-land)も2025年3月31日の終了にあたって、 投稿された作品を端末へダウンロードできるバックアップ機能を半年前から提供し、 移行先には作品インポート機能を用意した。 こちらの共通点も、書かれていたものの性質にある。 記事も小説も、後から読み返される前提で作られたものだった。 作った本人が持ち出したいと考える種類のものであり、 持ち出せないまま消えれば損失になる。 型1と型2は正反対に見えるが、同じ問いに別の答えを出しているだけである。 その問いは「ここに書かれたものは、誰のどんな意図のものか」というものだ。
型3 ── 制度ごと畳む
三つ目は、移す先が原理的に存在しない終わり方である。 [NIFTY-Serve](/service/nifty-serve)や[PC-VAN](/service/pc-van)のような会員制のネットワークは、 会社が畳めば、そこにあったものが一度に消える。 会員でなければ読めない構造だったため、外部の記録にも残っていない。 移行先を用意しようにも、同じ形の場所がもう存在しない。 [iモード](/service/imode)の2026年3月31日の終了も同じ型にあたる。 終わったのはひとつのサイトではなく、 公式メニュー・審査・通信料と一緒に集める課金という仕組み全体だった。 その上に載っていた無数の携帯サイトは、移す先を持たない。 この型では、消えるかどうかを事業者が選んでいない。 前提のほうが先に無くなっている。 [魔法のiらんど](/service/maho-i-land)が2020年3月31日に ホームページ機能とフィーチャーフォン向け提供を同じ日に終えたのは、 この型と型2の境目にある例といえる。
型4 ── URLを生かしたまま渡す
三つの型のどれとも違う四つ目がある。 [はてなダイアリー](/service/hatena-diary)は2019年3月7日に書き込みを止めるとき、 利用者が操作しなくても運営側で記事を後継サービスへ自動的に移し、 さらに古いURLから移行先へのリダイレクトを設定した。 自分で先に移行を済ませていた人についても、 リダイレクトの設定に気づいていない例が多かったため一括で設定している。 その判断の理由として挙げられているのが、 読者に移転先を伝えられないこと、検索エンジンから重複とみなされうること、そして 「過去の日記にアクセスできなくなると、ドキュメントのリンクが失われてしまう」ことだった。 ここで守られているのは、書いた本人のものだけではない。 そのURLを参照していた他人のページである。 リンクを張った側は、張られた先が閉じることに何の権限も持たない。 URLを生かすという選択は、その第三者に対する手当てにあたる。 型2が「持ち出させる」なら、これは「置いたまま、道だけ付け替える」である。 前者は書いた人を守り、後者はその先にある無数のリンクを守る。
残すことが配慮とは限らない
この三つを並べたときに見えてくるのは、 「記録を残すべきだ」という原則が、そのままでは通らないということである。 当サイトは消えたものを扱う場所なので、残っているほうが当然ありがたい。 しかし書いた本人にとっては、その逆であることも多い。 15歳のときに携帯電話の画面で書いた自己紹介が、 20年後に検索して読めることを、本人が望むとは限らない。 teacup.の告知にあった「二次利用を行うことはございません」という一文は、 その懸念に正面から答えている。 消すことが、書いた人への最後の仕事になる場合がある。 逆に、日付順に積み上げた記事を消すことは損失になりやすい。 書いた人自身が後から読み返すつもりで作っており、 引用や参照の対象にもなっている。 Yahoo!ブログが競合他社への移行ツールを画像とコメントごと用意したのは、 その性質を踏まえた判断だったと読める。 形式が、終わり方を決めている。 どちらが良いかを一般論で決めることはできない。
それでも、記録は片側にしか残らない
とはいえ結果として起きることは、はっきりしている。 消して終わった場所は、資料としてほとんど残らない。 当サイトが1990年代から2000年代の携帯電話の画面について書けることは、 当時の報道と、運営が公表した機能の一覧と、統計に限られている。 実際にそこで交わされていた言葉は、ほぼ手元にない。 Wayback Machineにも、携帯電話向けの形式で提供されていたページは ほとんど採取されていない。 これは誰かの落ち度ではなく、選択の帰結である。 書いた人を守るという判断と、記録を残すという判断は、 同じ場面で両立しないことがある。 当サイトが自作の模式図で当時の画面構成を説明しているのは、 この事情とも関係している。 実物が残っていないから、残っている記述から構造を起こすしかない。 過去のページを再配布しないという方針は権利上の判断だが、 再配布しようにも元が無い領域が、実際に広い。