NIFTY-Serve

統合・吸収コミュニティ掲示板チャットメール19872006(19年)

1987年4月15日に始まった、日本最大のパソコン通信サービス。会員数は1995年4月に100万人、 1996年9月に200万人に達した。Webが普及する前、日本でオンラインの人が集まる場所といえば ここか PC-VAN だった。2006年3月31日、19年で終了している。

基本情報

サービス名
NIFTY-Serveニフティサーブ、NIFTY SERVE、ニフティ
開始
19874月15日
2022年にニフティが公開した35周年特設サイトでも、1987年4月15日開始としている
終了
20063月31日
運営
ニフティ株式会社
当時のURL
http://www.niftyserve.or.jp/
現在
統合・吸収(2026-08-16時点)

その時代の立ち位置

誰が使っていたか
パソコンとモデムを持ち、電話代を自分で払える人。初期は技術者と研究者、 1990年代に入ると会社員・大学生・趣味の同好者へ広がった。 フォーラムごとに集まる層がはっきり分かれており、「ネット全体」ではなく 「自分が出入りしているフォーラム」が世界のすべてだった
何のために
フォーラム(会議室)で、同じ趣味や職業の人と文章をやりとりすること。 ほかに電子メール、CBシミュレータと呼ばれたチャット、ソフトウェアのダウンロード。 目的別に部屋が用意されており、入り口から目的地まで階層をたどって進む構造だった
何が新しかったか
「どこの誰か分からない相手と、文字で継続的に付き合う」という体験を日本で最初に大規模化したこと。 本名でもなく匿名でもないハンドルという中間の名前が定着し、 同じハンドルで何年も同じ部屋にいるという関係が成立した。後のネットの作法の多くはここで形になっている
今でいう何か
Discord のサーバーと Slack のワークスペースを合わせたもの。 ただし入り口が一社にひとつしかなく、入るたびに電話をかけ、いる間ずっと通話料が発生した
当時の競合
PC-VAN

NIFTY-Serveを時間旅行する

デザインの変化を並べるだけではなく、なぜそう変わったのかを書いています。

  1. 1995電話代を見ながら書く1995年のネットへ →

    接続料と電話料金が両方とも時間で課金されたため、つないだまま読み書きするのは高くついた。 そこで普及したのが、専用ソフトで新着だけを一括受信し、回線を切ってから読み、 返事を書き溜めて、次につないだときにまとめて送るという使い方である。 推敲された長文が多いこと、脱線が少ないこと、レスが翌日になるのが普通だったこと。 パソコン通信の文体としてよく語られる特徴は、思想ではなく課金方式から来ている。 この年の1月17日、阪神・淡路大震災が起きた。ニフティサーブが当日午後1時に開設した 「地震情報」メニューには、翌18日午後6時までに総アクセス件数約101万件、 総アクセス時間数270万分が集まっている。26日には「震災ボランティアフォーラム」が開設された。 電話網が輻輳するなかで、文字だけの通信が実際に役に立った最初の事例だった。

    文字だけの画面コマンド入力(GO ○○)階層メニューオフラインでの読み書き巡回ソフト
    NIFTY-Serve(端末画面)640px
    接続中の表示(通信速度・経過時間)
    NIFTY-Serve メインメニュー
    番号付きの項目(電子メール/フォーラム/ニュース/ショッピング)
    コマンド入力欄(GO+フォーラム名で直接移動)
    フォーラムの会議室一覧
    未読の発言(一括受信してから回線を切って読む)
    1995年の画面構造Webのページではなく、通信ソフトが表示する文字だけの画面である。 画像も配色もなく、移動は番号かコマンドで行う。上部に接続時間が出ているのは装飾ではなく、 そこに表示されている数字がそのまま料金だったからである。 よく使う場所へ一発で飛ぶ GO コマンドが重宝されたのは、 階層をたどる時間そのものが課金対象だったことの裏返しだった。 これは実際の画面の複製ではなく、構成を説明するための模式図である。ブラウザではなく通信ソフトの画面。80桁×24行の文字端末を前提にした表示※ 実際の画面の複製ではなく、当時の構成を説明するために作成した模式図です。
  2. 19961年半で会員が倍になった1996年のネットへ →

    1995年4月に100万人を数えた会員が、1年半弱で200万人に達した(1996年9月18日発表)。 運営側はこの急増の理由として、パソコンの低価格化で家庭に入り始めたこと、 インターネットへの関心が高まったこと、専用GUIソフトの普及を挙げている。 アクセスポイントは全国200箇所以上に増えていた。 注意深く読むと、この時点で伸びを支えていた要因のひとつが すでにインターネットへの関心だったことが分かる。 パソコン通信の会員数が最も伸びた時期と、パソコン通信が終わりに向かい始めた時期は、 実は同じ年に重なっている。

  3. 20062万人になっていた2006年のネットへ →

    1999年にインターネット向けの「@nifty」が始まってからも、 インターネット接続環境を持たない利用者のためにパソコン通信は残された。 しかし終了時点の利用者は約2万人。最盛期の1%である。 メール・フォーラム・掲示板はすでにほとんどがWebへ移っていた。 2006年3月31日23時59分59秒に接続が閉じられ、19年が終わった。 ユーザーIDとメールアドレスはインターネット上でそのまま使えたが、 niftyserve.or.jp というドメイン自体は同年5月31日に終了している。 サービスが消えるとき、最後に残るのはデータではなく住所だという例になった。

なぜ終わったのか

会員が離れたのではなく、同じ人が同じ会社の別サービスへ移った、という点がこの終了の特徴である。 パソコン通信は「その会社に入会した人だけが読める閉じたネットワーク」であり、 会員数がそのまま読める情報の量だった。Webは誰でも読めるので、 情報を置く側にとって閉じたネットワークに置く理由が消える。 ニフティ自身も1999年にInfoWebと統合して「@nifty」を立ち上げ、 主戦場をインターネット接続事業に移した。 パソコン通信のサービスはインターネット接続環境を持たない利用者向けに7年近く維持されたが、 終了時点の利用者は約2万人まで減っていた。

系譜

同じ時代にあったもの

関わりの深い文化と用語

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NIFTY-Serveを使っていましたか?

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当時のページを見る

実際に保存された過去のページは外部のWebアーカイブにあります。保存されていることを保証するものではありません。

保存状況: 未確認 パソコン通信の画面そのものは Web ではないため、Wayback Machine には残らない。 残っているのは、後年 Web に置かれた案内ページだけである

この時代のインターネットへ

NIFTY-Serveだけを見ても、当時の空気は分かりません。同じころ何が存在していたかを見てください。

出典

  1. 報道ニフティ、19年間のパソコン通信サービスに幕ITmedia エンタープライズ 2006-03-31
    1987年4月開始、2006年3月31日終了、終了時点の利用者数約2万人、 1999年の@nifty開始、niftyserve.or.jp ドメインの2006年5月31日終了
    確認日: 2026-08-16
  2. 報道NIFTY-Serve、会員200万人を達成PC Watch(インプレス) 1996-09-19
    1995年4月に100万人、1996年9月18日に200万人達成。 増加の背景としてパソコンの家庭浸透・インターネットへの関心・専用GUIソフトの普及。 アクセスポイントは全国200箇所以上
    確認日: 2026-08-16
  3. 公的資料コラム 阪神・淡路大震災時における情報通信の役割(平成23年版 情報通信白書)総務省
    ニフティサーブが震災当日午後1時に開設した「地震情報」メニューは翌日午後6時までに 総アクセス件数約101万件・総アクセス時間数270万分。26日に震災ボランティアフォーラム開設
    確認日: 2026-08-16
  4. 報道「NIFTY-Serve」サービス開始35周年、ニフティが特設サイト公開INTERNET Watch(インプレス) 2022-04-15
    1987年4月15日サービス開始。1999年7月のInfoWebとの統合による@nifty発足
    確認日: 2026-08-16
  5. 報道さよならパソコン通信!――NIFTY SERVE終了に伴い、パソコン通信全盛期を知る人々が東京に集結ASCII.jp 2006-04-03
    3月31日23時59分59秒の終了時刻。PC-VANと並ぶ「パソコン通信の2大ホスト」という位置づけ
    確認日: 2026-08-16

このページの記載は 2026-08-16 時点の調査に基づきます。誤りのご指摘・情報提供