INTERNET — 1995

1995年のインターネット

震災で使われ、Windows 95で広がった

第1層 黎明期存在したサービス 2

1995年を語るとき、多くの人がまず利用者数を探す。しかし当時の日本には、その数字が無い。 総務省(当時の郵政省)がインターネット利用者数を推計し始めるのは平成9年、つまり1997年末からで、 それ以前に数えられていたのは人ではなくホストコンピュータの台数だった。 1996年1月時点で日本は約26万9千台、世界第6位。米国の約605万5千台と比べれば20分の1以下である。 「何人が使っているか」を問う統計が存在しなかったこと自体が、この年の位置を示している。 そのうえで、この年には三つの出来事が並んでいる。 一つめは1月17日の阪神・淡路大震災である。加入電話は最大時30万を超える障害が発生した。 そのなかで、ニフティサーブが当日午後1時に開設した「地震情報」メニューには、 翌18日午後6時までに総アクセス件数約101万件、総アクセス時間数270万分が集まっている。 26日には震災ボランティアフォーラムが開設された。 神戸市はインターネットを使って、焼失地域の地図、避難所一覧、被災地の静止画像を発信している。 さらに3月には、商用パソコン通信3社(4月までに6社)のネットワークをインターネットで相互接続する 「インターVネット」が作られた。別々の会社の閉じたネットワークを、インターネットが橋渡ししたという点で、 この後に起きることの縮図になっている。 二つめは8月に始まったテレホーダイである。23時から翌朝8時までの通話が定額になるこの仕組みが、 日本のインターネットの時間帯そのものを決めた。深夜に人が集まるという後年の光景は、この日から始まっている。 三つめが11月23日のWindows 95日本語版発売である。米国から90日後、祝日の木曜日にあてられた。 秋葉原の深夜発売がこの年を象徴する映像として繰り返し使われるが、 深夜発売を始めたのは実は店舗側であり、マイクロソフト自身は当日昼間の秋葉原イベントを主催した立場だった。 国内のパソコン出荷は1994年度(1994年4月〜1995年3月)で334万8,000台、前年度比29%増。 パソコンが売れるほどオンラインの利用者が増えるという構図が、この年に完成する。 ただし1995年の日本で「オンラインにいる」とは、ほとんどの場合インターネットではなく パソコン通信にいることを意味していた。NIFTY-Serveの会員はこの年の4月に100万人、 PC-VANは前年に100万人を超えている。ブラウザを持っていない利用者のほうが、まだ多数派だった。 1995年は、インターネットが普及した年ではない。 パソコン通信の全盛期と、インターネットの出発点が、同じ一年に重なっていた年である。

この年のインターネット

1995年時点で日本から使えたサービスのカテゴリ。存在しなかった領域は表示していません。

コミュニティ掲示板チャットメール

1995年の主役

1995年に起きたこと

1995年のネット文化

1995年の環境

スペック表ではありません。なぜ当時のWebがあの見た目・使い方だったのかを 理解するための前提です。

主流端末
デスクトップPC(PC-9800シリーズ / DOS/V機)/ワープロ専用機
ブラウザ
NCSA Mosaic(1993年に無償公開され、WWWの利用が広がるきっかけになったブラウザ)/Netscape Navigator(WWWを見る人の中心。ただしこの年は「ブラウザを持っていない利用者」のほうが多かった)/通信ソフト(ブラウザではない)(パソコン通信の会員が実際に毎晩開いていたのはこちら)
回線
ダイヤルアップ(アナログ 14.4k〜28.8kbps)/ISDN 64kbps/テレホーダイ(この年の8月開始・23時〜翌8時が定額)
画面解像度
640×480 が標準。800×600 はまだ広い画面だった
携帯電話
携帯電話は通話が中心(携帯・自動車電話の総契約数は平成6年度末で約433万)/ポケットベル
保存容量
フロッピーディスク(1.44MB)/CD-ROM/数百MB〜1GB程度のHDD
主な検索手段
検索するという発想がまだ一般的でなく、URLは雑誌・書籍・知人から手に入れて手で打ち込むものだった

1995年のネット人口

インターネット接続ホストコンピュータ数(日本)26.9万台
1996年1月現在。世界第6位。米国は約605万5千台(全体の63.9%)出典: 第3章第1節1(1) インターネットの普及状況(平成8年版 通信白書)
インターネット接続サービスを行う第二種電気通信事業者278
NIFTY-Serve 会員数100万人
1995年4月。1987年のサービス開始から約8年出典: NIFTY-Serve、会員200万人を達成
国内パソコン出荷台数334.8万台

1995年の画面

実際の画面の複製ではなく、当時の構成を説明するために作成した模式図です。

NIFTY-Serve(端末画面)640px
接続中の表示(通信速度・経過時間)
NIFTY-Serve メインメニュー
番号付きの項目(電子メール/フォーラム/ニュース/ショッピング)
コマンド入力欄(GO+フォーラム名で直接移動)
フォーラムの会議室一覧
未読の発言(一括受信してから回線を切って読む)
1995年の画面構造Webのページではなく、通信ソフトが表示する文字だけの画面である。 画像も配色もなく、移動は番号かコマンドで行う。上部に接続時間が出ているのは装飾ではなく、 そこに表示されている数字がそのまま料金だったからである。 よく使う場所へ一発で飛ぶ GO コマンドが重宝されたのは、 階層をたどる時間そのものが課金対象だったことの裏返しだった。 これは実際の画面の複製ではなく、構成を説明するための模式図である。ブラウザではなく通信ソフトの画面。80桁×24行の文字端末を前提にした表示※ 実際の画面の複製ではなく、当時の構成を説明するために作成した模式図です。
PC-VAN(SIG の一覧)640px
ログイン後の案内(お知らせ・未読件数)
SIG(話題別の掲示板)を選ぶ
番号 + SIG名(パソコン/音楽/将棋/地域…)
選択:番号を入力
電子会議室の発言(発言番号・ハンドル・日付・本文)
1990年の画面構造一覧が画面に収まりきらないため、続きは改ページではなく「上へ流れて消える」。 読み返すには受信内容をファイルに保存しておく必要があり、 ログを取るという習慣はここから来ている。 番号を覚えている常連ほど短時間で用を済ませられ、 操作の習熟度が通話料の差として現れた。 これは実際の画面の複製ではなく、構成を説明するための模式図である。通信ソフトが表示する文字端末の画面。ページという概念がなく、上から流れて消えていく※ 実際の画面の複製ではなく、当時の構成を説明するために作成した模式図です。

当時のWebを見る

実際に保存された1995年のページは、外部のWebアーカイブで閲覧できます。 保存の有無はサービスごとに異なるため、各サービスのページから状態を確認してください。

サービス索引から探す

出典

  1. 公的資料第3章第1節1(1) インターネットの普及状況(平成8年版 通信白書)郵政省(現 総務省)
    1996年1月現在の日本のホストコンピュータ数 約26万9千台(世界第6位)、 米国 約605万5千台(63.9%)、平成7年12月末のインターネット接続サービス提供事業者278社
    確認日: 2026-08-16
  2. 報道NIFTY-Serve、会員200万人を達成PC Watch(インプレス) 1996-09-19
    1995年4月にNIFTY-Serveの会員数が100万人に達したこと
    確認日: 2026-08-16
  3. 報道Windows 95がもたらしたものとは何か?改めて30年前を振り返る(前編)PC Watch(インプレス) 2025-11-27
    日本語版の発売日1995年11月23日(米国は8月24日、90日後)、祝日の木曜日を選んだ理由、 深夜発売は店舗側が始めマイクロソフトは支援する立場だったこと、 1994年度の国内パソコン出荷台数334万8,000台(前年度比29%増)
    確認日: 2026-08-16
  4. 公的資料コラム 阪神・淡路大震災時における情報通信の役割(平成23年版 情報通信白書)総務省
    最大時30万を超える加入電話の障害、ニフティサーブ「地震情報」の総アクセス件数約101万件・ 総アクセス時間数270万分、震災ボランティアフォーラム、インターVネットの創設、 神戸市によるインターネットでの情報発信、平成6年度末の携帯・自動車電話 約433万契約
    確認日: 2026-08-16
  5. 公的資料インターネットの普及(平成23年版 情報通信白書)総務省
    インターネット利用者数の推計が平成9年(1,155万人)から始まっていること
    確認日: 2026-08-16
  6. 報道NTT、「テレホーダイ」の提供を2024年で終了 90年代のインターネットを支えた長寿サービスITmedia NEWS 2022-01-21
    23時から翌8時までを定額にする仕組みであったこと
    確認日: 2026-08-16

1995震災で使われ、Windows 95で広がった
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