個人ホームページ文化史 ── 自分の場所を持っていた10年
1996年から2005年ごろまで、インターネットで発信するとはまず「場所を作る」ことだった。 無料スペースを借り、HTMLを書き、FTPで上げる。この手間の重さが、 当時のネット文化のほとんどを説明する。
発信するには、まず場所が要った
いまは、アカウントを作ればその日から書ける。当時はそうではなかった。 無料のホームページスペースを借り、HTMLを手で書き、FTPソフトでサーバへ上げる。 更新するたびに同じ手順を繰り返し、目次のページも自分で直す。 この一連の作業ができる人だけが発信者だった。 重要なのは、この手間が単なる不便ではなく、当時のネット文化のほぼすべてを 規定していたことである。以下で見ていく習慣は、どれもこの前提から導かれている。 手間が消えたとき、それらは一つ残らず消えた。
レイアウトを自分で決める、ということ
HTMLを自分で書くということは、ページの見た目を全部自分で決めるということでもある。 背景の色、文字の大きさ、どこに何を置くか。 当時の個人サイトが見た目にばらばらだったのは、統一する仕組みが無かったからではなく、 統一しないことが前提だったからである。 標準的な構成は、ある程度決まっていた。タイトル画像、更新履歴、自己紹介、 本編のコンテンツ、リンク集、そして最下部のアクセスカウンタ。 この並びは誰かが決めたものではなく、他のサイトを見て真似することで広まった。 作法の伝達手段が、他人のページを見ることしかなかった時代である。 「工事中」の表示が普通だったのもここに関わる。 サイトはまず全体の目次を作り、そこに載せる予定の項目を先に書いた。 目次は索引であると同時に、これから何をやるかの宣言でもあった。 まだ書けていない項目に付ける印が「工事中」で、 未完成を詫びるためというより、これから育つことを示すためのものだった。
見つけてもらう手段が、リンクしか無かった
作ったサイトをどうやって知ってもらうか。当時の答えは限られていた。 ディレクトリ型検索に登録するには審査があり、 全文検索は個人サイトを的確に上位へ出す精度をまだ持っていなかった。 実際に機能したのは、あるサイトから別のサイトへリンクを辿るという経路だけである。 だから相互リンクは、仲良しの証というより流入経路の構築だった。 リンクを張り合うことがそのまま集客になる。 申請して了承を得るという手続きを踏んだのは、 当時の個人サイトが「自分の場所」という感覚で運営されていたためで、 他人の領域に導線を引くなら一言断るのが礼儀とされた。 「リンクフリー」という表示がわざわざ必要だったのは、 断りなくリンクしてよいことが自明ではなかったからである。
数えられる規模だった
1日の訪問者が数十人。この規模が、当時の交流の形を決めていた。 アクセス解析がほとんど存在せず、サイト主が自分の訪問者数を知る手段は ページに貼ったカウンタの数字だけだった。そしてその数字は訪問者にも見えている。 サイト主と訪問者が唯一共有できる指標がカウンタだった。 10000という数字に到達するのに何か月もかかる規模では、 到達そのものが出来事になる。そこに立ち会った人がいるという偶然が成立し、 キリ番という儀礼が生まれた。祝われるのはサイト主ではなく、 たまたま踏んだ訪問者のほうである。 訪問者が万単位になれば、誰が10000人目かを特定することにも報告することにも 意味がなくなる。この文化は、規模が小さいことによってのみ成立していた。
文字しか置けないという制約が、技術を生んだ
回線が細く従量課金だった時代、画像の多いページは「重い」ではなく「高い」ページだった。 映像や音を扱う手段も個人には無い。 結果として、個人が手持ちの道具だけで作れるものは実質的に文章しかなかった。 この条件下で発達したのが、文体・改行・間の取り方といった、 画面上でどう見えるかを前提にした文章設計である。 1行の長さ、空行の入れ方、強調の付け方。 紙の文章とは違う読ませ方が、制約の中から出てきた。 読む側の環境も揃っていた。テレホーダイの時間帯に接続し、 巡回するサイトを順に開く。1サイトに数分から十数分をかける読み方が 一般的で、長い文章を読ませることが現実的だった。
手間が消えたとき、文化ごと消えた
2002年ごろからブログツールが広まる。日付順に自動で並び、 コメント欄もトラックバックも最初から付いている。 更新のたびにHTMLを書いて目次を直す必要が無くなった。 この時点で、個人サイトが持っていた「レイアウトを自分で決める自由」は、 「更新が面倒」という代償と釣り合わなくなった。 利用者は減ったのではなく、書く場所を移していった。 同時に、前提から導かれていた習慣が一つずつ消えていく。 検索の精度が上がって相互リンクの実利が消え、 アクセス解析が無料になってカウンタを訪問者に見せる意味が消え、 日付順に積み上がる形式には工事中という概念そのものが無かった。 そして2019年3月31日、無料ホームページサービスの代表格だった Yahoo!ジオシティーズがホームページの表示を停止する。 21年分の個人ページが同時に閲覧できなくなり、 「インターネットには何でも残っている」という感覚が正しくないことを、 最も広く実感させる出来事になった。 失われたのは、商業媒体には残らなかった種類の記録だった。 趣味の詳細な記録、地域の情報、当時しか存在しなかった作品。 当サイトが個人サイトの管理人やハンドルネームを扱わない方針でいるのは、 その記録を掘り返すことが目的ではなく、 そういう場所があったという事実と、それを成立させていた条件のほうを 残したいからである。