テキストサイト
文章そのものを読ませることを主目的にした個人サイト。画像も動画も置けない、 あるいは置くと重すぎるという条件の下で、文体と改行と間の取り方だけで 読ませる技術が磨かれた。2000年前後の数年間に集中して現れた形式。
なぜ当時あたりまえだったのか
この形式が成立した条件は、そのまま当時の制約の一覧になる。 第一に、回線が細く従量課金だった。画像を多用したページは読み込みに時間がかかり、 その時間がそのまま料金になる。文字だけのページは、当時もっとも安く、もっとも速かった。 第二に、映像や音を扱う手段が個人には無かった。動画を置く場所も再生する仕組みも 一般的でなく、写真もデジタルカメラが普及する前は用意すること自体が難しい。 個人が手持ちの道具だけで作れるものは、実質的に文章しかなかった。 第三に、読む側の環境が揃っていた。テレホーダイの時間帯に接続し、 巡回するサイトを順に開いていく。1サイトあたりに数分から十数分をかける読み方が 一般的で、長い文章を読ませることが現実的だった。 この条件下で発達したのが、文体・改行・間の取り方といった、 紙の文章とは違う読ませ方である。1行の長さ、空行の入れ方、 強調の付け方。画面上でどう見えるかを前提に文章が設計されていた点が、 それまでの書き物と決定的に違っていた。
なぜ消えたのか
条件が三つとも消えた。 常時接続で画像の重さが問題でなくなり、デジタルカメラと動画共有サービスが 個人の手に入った。文字しか置けないという前提が無くなった時点で、 文字だけを選ぶ理由は「そうしたいから」に変わる。 読む側の時間の使い方も変わった。テレホーダイの時間帯にまとめて巡回する形から、 一日中細切れに見る形へ移ると、1サイトに十数分かける読み方が成立しなくなった。 そして書く場所がブログとSNSへ移った。日付順に並ぶ形式は、 作品として構成された長文には向いていない。 発表の単位が「サイト」から「投稿」へ細かくなるにつれ、 読ませるための構成を組み立てる余地そのものが縮んでいった。 なお、この文化は担い手を個人名で記録しにくい領域でもある。 当サイトは個人サイトの管理人やハンドルネームを扱わない方針のため、 ここで書けるのは形式と条件についてまでで、 誰が何を書いたかは扱わない([運営方針](/about))。
今でいうと何か
長文を投稿できるプラットフォームでの個人発信。ただし当時は自分のサイトに置き、 リンクとクチコミだけで読まれていた点が違う
※ 完全に同じものではありません。機能や文化の系譜として近いものを挙げています。