検索エンジン戦国史 ── なぜ日本の検索は全部消えたのか
1996年から数年のあいだに、日本語で検索できるサービスが次々と立ち上がった。 Yahoo! JAPAN、goo、インフォシーク、エキサイト。しかし2000年代半ばには、 独立した検索サービスとして残ったものは一つも無い。理由は精度ではなく、収益構造にあった。
4年間に、入口が4つできた
1996年4月1日、Yahoo! JAPAN が約15,000サイトを収録したディレクトリ検索で始まった。 1996年10月、インフォシークがデジタルガレージの一事業部門として日本でのサービスを開始。 1997年3月27日、NTTグループが goo を開設。 1997年12月、エキサイトが日本語版の検索サービスを始めた。 4年に満たない期間に、日本語で検索できる主要なサービスが4つ揃っている。 当時の利用者にとって「どれを使うか」は人によって分かれる選択で、 ブラウザのホームページに何を設定しているかがそのまま答えになっていた。 技術的には二つの系統があった。Yahoo! JAPAN のディレクトリ型は、 人がサイトを見て分類する。goo とインフォシークのロボット型は、 機械がページを集めて中身を検索する。 前者は数万サイト単位、後者はページ単位で、扱う対象の桁がそもそも違っていた。
なぜ最初はディレクトリが強かったのか
いまの感覚では、全文検索のほうが優れているように見える。 実際、goo が採用したのは米Inktomiの検索エンジンとNTT研究所の日本語解析技術の組合せで、 日本語の単語の区切りという難しい問題を解いていた。技術的には先を行っている。 それでも入口の座はディレクトリ側にあり続けた。理由は二つある。 第一に、当時の通信は従量課金だった。つないでいる時間だけ料金がかかる環境では、 検索結果を何ページも見て回ることが直接コストになる。 「誰かが選んで分類してくれている」ことは、精度そのものより価値があった。 第二に、全文検索の精度の差が利用者に伝わりにくかった。 各社が日本語解析で競っていたが、実際に使う側から見ると、 どの検索窓に入れても似たような結果が返ってくるように見える。 違いとして認識されたのは、精度よりも画面の慣れのほうだった。
検索は、単体では商売にならなかった
2000年11月、楽天がインフォシークを90億円で買収し完全子会社化した。 このとき公表された決算が、当時の検索事業の実態をそのまま示している。 売上高は前期比4.8倍に伸びる一方で、営業損失は同39.7倍に膨らんでいた。 検索エンジンを維持するには、Webをクロールし続け、インデックスを保持し続ける費用が 継続的にかかる。ところが当時の日本には、その費用を回収する手段が バナー広告しか無かった。検索連動広告の市場はまだ立ち上がっていない。 結果として各社が採った道は同じだった。検索を入口にして、 その先で別の商売をする。Yahoo! JAPAN はニュースとオークションを、 インフォシークは買収後に楽天市場への導線を、 goo は辞書やQ&Aといった機能を束ねた。 検索エンジンが独立した事業ではなく、他の事業の入口として位置づけられたのが この時期の日本の検索の共通した姿である。
生き残ったのは、検索をやめたところだった
4社を並べると、生き残り方に共通点が見える。 いずれも「検索で勝つ」ことをどこかで諦め、別の何かを入口に据え直している。 Yahoo! JAPAN はニュースとオークションという、検索とは別種の用事を抱えた。 インフォシークは楽天の傘下で通販への導線になった。 goo は辞書やQ&Aといった、検索では答えの出ない問いを引き受けた。 エキサイトは翻訳という単機能に寄せた。 総合力で競っていた4社が、そろって「これのために来る場所」へ性格を変えている。 検索という機能そのものは、どの会社にとっても最後まで収益の柱にならなかった。 同じ時期、Google の精度が広く知られるようになっていた。 リンク評価による順位付けという方法が、 「該当が多すぎて上位に何を出すかが本体になる」という問題に対する答えとして 機能したためである。国内の検索エンジンが精度で並ばれた瞬間、 検索そのもので差を付けるという選択肢が消えた。
残ったのは「入口」という発想のほうだった
2020年代の目で見ると、この時期に負けたのは国産の検索エンジンで、 勝ったのは海外の検索エンジンだ、という単純な話に見える。 しかし実際に消えたのは検索エンジンという事業形態そのものだった。 日本の4社が採った「検索を入口にして、その先で別の商売をする」という構造は、 検索を制した側がそのまま採用している。検索連動広告という回収手段が 成立してからは、検索そのものが最も収益性の高い入口になった。 つまり構造は正しく、成立するタイミングが早すぎただけだった、とも言える。 もうひとつ、日本には別系統の探し方が並走していた。 iモードの公式メニューである。検索窓を置く画面の余裕が無く、 審査を通ったサイトを階層で並べるという方式は、 ディレクトリ型の思想を携帯電話の制約下で再実装したものに近い。 日本ではディレクトリ型が2度成立しているという点は、 海外の検索史には出てこない特徴である。