ガラケーWebという、もうひとつのインターネット
2000年代の日本には、インターネットが事実上二つあった。パソコンから見るWebと、 携帯電話から見るWebである。URLも中身も作り方も違い、利用者層も重なっていなかった。 そして片方は、ほとんど記録を残さずに消えた。
インターネットが二つあった
2005年末、日本でインターネットを使っていた8,529万人のうち、 携帯電話だけで使っていた人は1,921万人(22.5%)だった。パソコンだけの人は1,585万人(18.6%)。 つまり携帯からしかインターネットを見ない人のほうが、パソコンからしか見ない人より多かった。 これは統計上の細かい内訳の話ではない。当時のサイトを作る側は、 パソコン向けと携帯向けを別々に作っていた。URLが違い、HTMLが違い、 画像の形式が違い、載せる情報の量が違う。同じサービスでも、 パソコンから見た姿と携帯から見た姿はまったく別のものだった。 現在「昔のインターネット」として語られるものの多くは、このうちパソコン側の話である。 もう片方の、2,000万人近くが日常的に使っていたほうのインターネットは、 ほとんど語られないまま消えた。 さらに言えば、その携帯側もひとつではなかった。 ドコモのiモードとauのEZwebは中身を記述する規格が別系統で、 同じ内容を見せるのにサイトを二重に作る必要があった。 パソコン向けを含めれば三通り。当時の制作現場が抱えていた負担は、 いまの「PCとスマホの両対応」とは比較にならない。
全角十数文字が数行、という制約
iモードが採用したコンパクトHTMLは、通常のHTMLから装飾のほとんどを削ったものだった。 表示できるのは全角十数文字が数行。色数も限られ、初期は白黒だった。 この条件下では、パソコン向けの作法が何ひとつ通用しない。 3カラムのレイアウトは組めない。細かいリンクを敷き詰めることもできない。 画像で説明することもできない。残るのは、短い文とリンクを縦に並べることだけである。 そこで採られたのが、項目の頭に数字を振るという方法だった。 カーソルキーで一つずつ降りるより、数字キーを1回押すほうが速い。 片手で、歩きながら、数秒で目的に着く。この操作を前提に画面が設計されていた。 パソコンのWebが「広く見渡して選ぶ」ものだったのに対し、 携帯のWebは「決まった場所へ最短で行く」ものだった。 同じインターネットという言葉で呼ばれていたが、体験としては別物である。
公式サイトと勝手サイト
iモードのメニューに載るサイトは、ドコモの審査を通った「公式サイト」だった。 公式になると、月額数百円のコンテンツ料を通信料と一緒に回収できる。 利用者はクレジットカードを登録する必要がなく、携帯料金にまとめて請求されるだけで済む。 これがiモード最大の発明である。 技術ではなく、決済の設計だった。 当時のパソコン向けWebは、無料で公開して広告を貼るか、 クレジットカード決済の壁を越えてもらうかの二択しかなく、 小さなサイトが収益を上げるのは現実的でなかった。 携帯では、月300円を1万人から集めるという商売が成立した。 着メロ、占い、待受画像、ゲーム、小説といった、 パソコン向けWebには育たなかった種類のコンテンツ産業が日本に生まれたのは、この仕組みによる。 一方、審査を通らない、あるいは通そうとしないサイトは「勝手サイト」と呼ばれた。 メニューには載らないので、URLを直接入力するか、雑誌やクチコミで知るしかない。 そこには個人が作った掲示板、小説、ゲームの攻略情報が広がっていた。 パソコンのWebでは同じ空間にあったものが、携帯では制度的に二層に分かれていた。
なぜ消えたのか
スマートフォンが登場した時点で、ガラケーWebが解いていた問題のほとんどが消えた。 画面が広くなり、コンパクトHTMLで簡略化する必要がなくなった。 パソコン向けのページがそのまま読める以上、携帯専用のページを別に作る理由がない。 公式メニューという審査済みの入口も要らなくなった。 アプリストアと検索がその役割を引き取り、しかも通信事業者の外側に置かれた。 そして決済も、キャリア課金からアプリストアの決済へ移った。 ここで注意したいのは、消えたのが「携帯でネットを見る習慣」ではないことである。 その習慣はむしろ残り、規模はさらに大きくなった。 消えたのは、その習慣をキャリアが囲っていたという形のほうである。 iモードも EZweb も、端末を売る会社がコンテンツの並び順と課金を決めていた。 その役割がアプリストアと検索へ移ったとき、 日本の携帯Webという独立した生態系は、支える骨格を失った。
記録が、ほとんど残っていない
この領域を扱う最大の理由がここにある。 ガラケーWebのページは、携帯電話からしかアクセスできないものが多かった。 端末の識別情報を見て、通常のブラウザからのアクセスを弾く作りが一般的だったためである。 その結果、Webアーカイブのクローラが到達できなかった。 パソコン向けのページが1996年から継続的に採取されているのに対し、 当時2,000万人近くが日常的に見ていた画面は、ほとんど保存されていない。 サービスが終われば消える、という以上の問題がある。 終わる前から、記録される仕組みの外側にあった。 現存するのは、当時の雑誌記事、企業のプレスリリース、そして利用者の記憶だけである。 当サイトが当時の画面を模式図として再現しているのは、権利上の理由が第一だが、 この領域に関しては再現する以外に見せる方法が無いという理由も加わる。